東京地方裁判所 昭和52年(レ)53号 判決
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【判旨】
控訴人は被控訴人に対し、本件建物部分を自ら使用する必要があるとしてその明渡を求める本件訴訟を提起し(昭和五〇年一一月二五日付訴状が同年一二月一六日被控訴人に送達されたことは、記録上明らかである。)、かつこれを維持しているのであつて、本件訴訟は解約申入れの意思表示をも包含しているものと解するのが相当であるから、次に右解約申入れの正当事由の存否について判断する。
四1 <証拠>を総合すると、控訴人側の事由として次のような事実が認められる。
(一) 本件建物は控訴人の所有する唯一の建物であり、控訴人は右建物に妻と二人で居住し、右建物裏の工場を使用してビニール加工業を営んでいるが(控訴人がビニール加工業を営んでいることは、当事者間に争いがない。)、いわゆる石油シヨツク以後の不況のために仕事が減少して満足な収入を得ることができず、しかもこの仕事はプレス踏みなど力を要するうえ神経の集中を要する細かい作業でもあるところ、控訴人は現在六一才と高令であることに加えて高血圧症で健康がすぐれず、右仕事を続けることが健康上も好ましくないため、本件建物部分を使用して日用雑貨商でも営みたいと考えており、また、控訴人ら夫婦二人きりの生活には不安があるところから、長女又は二女夫婦と同居して面倒をみてもらうことを予定していること
(二) そもそも本件建物部分は控訴人が貸店舗用に改造したもので、店舗部分とその奥の4.5畳の部屋を被控訴人が使用し、本件建物のその余の部分すなわち二階全部(八畳、4.5畳各一間に三畳くらいの板の間がある。)と階下奥の八畳間を控訴人ら夫婦が居室として使用していること
(三) 被控訴人の営む焼鳥製造に伴い多量の煙が出るところから、被控訴人は、昭和四七年六月頃控訴人の要請により排煙のためのトタン製煙突を本件建物の東側外壁に沿つて設置したが(右事実は当事者間に争いがない。)、右煙突の継目加工が不十分なためか継目から油煙が洩れ、右外壁や本件建物東側にある控訴人方の車庫の屋根の波型ビニール板に洩出した油が付着しているほか、風向きによつては二階の控訴人の居室に油煙が侵入する場合があること
(四) 被控訴人の家賃支払状況は、当初毎月八日頃支払をしていたが、その後は毎月五日頃支払うようになつて現在に至つていること(この点に関し、控訴人は、被控訴人が約定の月末払いを履行しないため、控訴人が毎月三日に行なつている本件建物建築の際住宅金融公庫から借入れた金員の割賦弁済に支障が生じ、延滞金の支払を余儀なくされている旨主張するが、前記甲第二号証及び控訴人の供述によれば、控訴人の住宅金融公庫に対する毎月の割賦弁済額はわずか二五〇〇円であることが認められ、被控訴人の家賃支払状況が右のようなものであることから直ちに控訴人主張のような借入金返済への支障が生じているものとは到底認め難い。)
(五) 本件紛争の直接の発端は、控訴人が被控訴人に対して家賃の増額請求をしたのに対し、被控訴人がこれに応じなかつたことにあると推測されるものの、本件では右増額請求の適否を判断する資料に乏しく、したがつて、右増額請求に及んだ控訴人の側を是とし、これを拒絶した被控訴人の態度を非と断定することはできないこと
2 次に、<証拠>を総合すると、被控訴人側の事情として次のような事実が認められる。
(一) 被控訴人は、当初から鳥肉販売と焼鳥製造販売業を営む目的で五〇万円の権利金を支払つて本件建物部分を賃借し、昭和四五年一一月頃開店して以来引続き右営業に従事して現在に至つており、その間本件建物が商店街から離れた所にあるため必ずしも良好とはいえない立地条件のもとにおいて、営々と努力を重ねた結果、ようやく安定した収益を得られるようになつたこと
(二) 被控訴人は、当初一時本件建物部分に妻と居住したが、狭隘であることなどから、他にアパートを借りて住居を移し、妻子ともども同所に居住しつつ、本件建物部分は専ら店舗として使用していること
(三) そして、被控訴人を含めた家族四人の生活は挙げて本件店舗からの営業収入に依存しているが、設備投資等に要した借入金の返済、前記アパート及び本件建物部分の賃料の支払等の出費があるため、必ずしも余裕のある生活状態ではないこと
3 なお、控訴人は、被控訴人が、(イ)近隣の住民に「賃料が高い。」といいふらしたとか、(ロ)粗暴かつ猜疑心が強いとか、(ハ)前に入居していたアパートの家主の娘に傷害を負わせた結果退去させられた話があるとか、(ニ)控訴人が近所の人と立ち話をしていると、被控訴人の悪口を言つていると怒鳴り、控訴人に対し「もうろく隠居」と怒号する始末であるなどと主張するが、右(イ)(ロ)(ニ)事実は本件全証拠をもつてしてもこれを認めることができず、(ハ)の点についても、原審における被控訴人の供述によれば、被控訴人の側にも十分言い分があることが窺えるばかりでなく、そもそも本件賃貸借とは何らの関係もない事柄であるから、本件賃貸借契約の解約申入れの正当事由の一として考慮するに値しないというべきである。
また、控訴人は、原審の和解期日において控訴人が代替建物を紹介したのに、被控訴人がこれを検討することもしなかつた旨主張し、原審の和解に際し控訴人が代替建物を紹介したことは当事者間に争いがないけれども被控訴人が原審においてこれらの提案を全く検討することなく拒絶したと認めるに足りる証拠はなく、かえつて被控訴人としても控訴人の提案を検討し、かつ自ら対案を提示したりしたが結局合意に至らなかつたことが当審における和解の経緯に照らしても明らかであるから、控訴人が代替建物を紹介したことの一事をもつて控訴人に有利な事情と解することはできない。
五さらに、<証拠>によれば、控訴人は、本件更新拒絶後の昭和五〇年九月頃、被控訴人に対し、本件賃貸借契約更新の条件として権利金二〇万円、謝礼金四万円の支払を要求し、右金員の支払と賃料の増額を条件に契約の更新に応じてもよいとの態度を示していたことが認められ、右事実をも勘案して前記認定の控訴人、被控訴人双方の事情を比較較量すると、控訴人が本件建物部分の自ら使用する必要性は一応認められるものの、それに比して被控訴人が本件建物部分を使用して営業を継続する必要性はより一層切実なものがあり、もし本件建物部分を明渡すことになれば被控訴人ら家族四人の生活が忽ち窮地に陥ることが十分予想されるところである。控訴人は、相当の立退料を提供する意思がある旨表明し、原審の和解期日において一年分の賃料の免除を提出し、当審の和解期日においても五〇万円かこれに若干の上乗せする程度の立退料を提供する旨申し出たことは、前記大塚証人の証言及び当審における和解の経緯に照らして明らかであるが、右程度の立退料の提供をもつてしては、本件解約申入れについての正当事由の補強として十分ではないというべきである。
もつとも、前記認定事実特に四、1の(三)の事実にもとづいて勘案するに、当裁判所としても原判決が摘示するように、被控訴人において、油煙による本件建物汚染の除去、防止等に努め、もつて相互の不信感をなくし、円満な賃貸借関係の継続に努力する必要があると考えられ、この点において被控訴人の従来の態度に十分でない面があつたと認めざるを得ないが、右事由を考慮に入れても本件賃貸借契約解約申入れに正当事由があるとは言えず、結局控訴人の本件解約申入れには正当事由が存しないと解するのが相当である。
(小川昭二郎 魚住庸夫 市村陽典)